2015年、私たちは多くの方々に支えられ、創業から数えて80年という歴史を刻むことが出来ました。そして、2017年、関東農機としてスタートしてから55年の節目を迎えます。
現在では、小型農機のロータリ分野における国内トップシェアを誇り、管理機やホビー耕うん機など成長分野にも生産機能を持ち合わせた私たちではありますが、「農作業をもっと楽しく快適に」という思いを常に持ち、モノづくりから始まった会社であります。
その思いは今も変わらずヘルパー製品をご使用いただくすべての皆様への「約束」として、全社員に紡がれています。

  • 1. 創業期

    「農作業を効率良くできないのか」
    創業時から変わらない純粋な思い。

    大正期、稲葉茂平とその妻 はつ は茨城県結城市小田林善長寺で田畑を耕作する農家でした。家族構成は父母をはじめとする世帯主とその子らである9男3女の大家族です。そのころの畑作は陸稲(おかぼ)、麦作が一般的でしたが、茂平 はつ 夫妻においては特に地元の特産品である「かんぴょう」作りに力を入れておりました。日々の農作業の中、手作業を少しでも楽で効率よく出来ないものかとその機械化に取り組み始めました。天候に左右されやすい乾燥を確実に速く行える乾燥設備などさまざまな製品つくりにチャレンジしました。

    「かんぴょう丸むき機」からはじまった
    私たちの歴史。

    特に力を入れたのは、“かんぴょう丸むき”の機械でした。当時すでにさまざまな機械がありましたがどれも道具の域を超えるものはなく、使い勝手もよくありませんでした。そこでその改良に精力的に取り組み、試行錯誤の末、後に社の基盤を築くこととなる“イナバ式かんぴょう丸むき機”を開発し、稲葉農具製作所としてその製造販売を手がけました。後(のち)の関東農機につながる歴史はこうして始まったのです。時に大正末期頃の事でした。イナバ式かんぴょう丸むき機は当時の丸むき機でむずかしかったむき代の寸法出しをワンタッチで行える独自機構を備えていました。これは、主要部であるかんぴょうの果肉を細くむくためのカンナ部の昇降がレバーを引くだけで均等の寸法分移動する昇降装置でした。この考案で専売特許も取得いたしました。その後、このイナバ式かんぴょう丸むき機は地元で高い評価を頂き、多くの農家様にご購入いただきました。生産を終了して50年以上を経過した今でも地域の歴史遺産として大切に保存されています。また、当時は畜力用の犂(すき)にも力を入れ、独自の犂床(りしょう)形状で工夫を凝らし、安定した作業を可能にしました。この犂は直進性や天地反し・除草性能に優れ、“イナバ式プラウ”として、関東地区はもちろん東北地域でも好評を博しました。

    「稲葉機械製作所」から「関東農機」へ。

    そして、昭和37年に転機が訪れます。茂平の子供らである稲葉保二郎・稲葉茂夫と稲葉誠一郎(現名誉顧問)・稲葉十三夫(現名誉相談役)・稲葉栄太郎らが創業者となり、同じ茨城県結城の地で株式会社稲葉機械製作所を設立。昭和38年には社名を現在の関東農機株式会社と変更しました。

  • 2. ロータリでの発展期

    現在でも私たちの”誇り”として
    磨きをかけ続けている「ロータリ」の産声。

    昭和37年、設立と同時にプラウで培った除草作業の知識・技術を基礎として、関東地区の陸稲(おかぼ)や麦栽培における畦間の除草作業に向けた、動力付き管理作業機(以下管理機)と中耕ロータリを開発し、その製造に着手いたしました。
    当時は牽引型の三本カルチが全盛の時代に、除草・中耕作業を効率的に行えるロータリを開発しました。同時にその取り付け方法(オフセット式)などの工夫で、特許・実用新案を取得し、各大手メーカー様にもご採用頂きました。ここから、ロータリ製造・販売を中心とした本格的な全国展開が始まります。

    「ロータリ」の販売好調と併せて 生産体制と販売活動の拡張へ。

    翌昭和38年には福島県岩瀬郡に鏡石工場を新設。同時に営業所も併設。主に中耕ロータリ専用の生産拠点として活動を開始しました。昭和43年には本社を今の栃木県小山市横倉新田493 小山工業団地内に移転。本社営業所も新設いたしました。一気に生産体制の拡充と本格的な新製品の開発・研究に着手し、販売活動も全国を視野に注力いたしました。昭和55年岩手県盛岡市玉山区渋民に盛岡工場ならびに盛岡営業所を新設。マイテーカー専用工場として活動を開始しました。

  • 3. 全国展開へ奔走

    昭和39年、東海道新幹線(東京−大阪間)の開通と時を同じくして、現取締役名誉顧問の稲葉誠一郎が大阪市船場の町に大阪事務所を開設。昭和40年大阪市淀川区宮原町5丁目5番17号に移転、大阪営業所を新設しました。大阪営業所は関西の大手メーカー様の窓口として、また関西地区ならびに中国・四国・九州地区の自社製品拡販の拠点として、関東農機の発展に大きく貢献しました。現在は九州営業所に統合し西日本地区の拠点として活動しております。

  • 4. 葉たばこ専用機への注力

    設立当初より専売公社(現日本たばこ産業)様と協力して葉たばこ作業の労力軽減を目指し、その機械化に精力的に取り組んできました。高畝つくり管理機の開発・同時マルチ、培土作業の確立・たばこ移植機・畦間作業車・施肥機・幹刈り運搬機・乗用抜根機・歩行型抜根機・残幹処理機・電気式乾燥機、湿度コントロール施設・編み機の開発等。その開発時に培った技術は弊社の大きな財産であり、今の製品開発と生産活動に生かされています。特に野菜移植機のコア部分である弊社独自の移植ユニットは、葉たばこ移植機で培った技術であり、現在、主要メーカー様にご採用いただいております。また、葉たばこ機械の普及活動で広がった営業基盤も現在の販売活動における大切な宝物です。

  • 5. マイテーカーの開発

    大阪万博で日本中が沸いた昭和45年、株式会社関東機械センターとともに中央卸売市場内の野菜や魚の運搬作業に着目し、当時の神田市場向けに業界初のDC1000歩行型運搬車を開発。”力強い”という意味のmighty(マイティ)から愛称を「マイテーカー」としました。当初より一貫して弊社が開発・生産を担当し、関東機械センターが販売に注力するスタイルを確立しました。特に現取締役名誉相談役の稲葉十三夫が本事業の拡大に奔走しました。現在盛岡工場はこのマイテーカー生産の専用工場として運用されております。

  • 6. ロータリ専用機の開発

    ロータリの開発から30数年を数えた平成5年、弊社初の管理機とロータリ合体型のロータリ専用機“ポッケ”を開発、農家さんの作業を“もっと楽しく快適に”をコンセプトにコンパクトなパッケージング技術を確立しました。その系譜は、今ではおなじみの菜太郎など家庭菜園耕耘機につながっております。

思いを形に…先人から学ぶ一途な思い。
その”思い”の計り知れない力(パワー)を我々は信じ、
これからもお客様のご要望に応え続けたいと思います。

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